誰しもが何かに依存して生きている。
因みに、今のおれは薬物依存だ。薬がないとおれのスタンドたちは暴走する。
スタンド=双極性障害とADHD
ジョジョの奇妙な冒険のスタンドに例えているけど、スタンドと違い全然良いものではない。
今でも忘れもしない。おれが双極性障害になったのは2018年の1月、あれ?2月だったかな?まぁそのあたりに体がおかしくなった瞬間をまざまざと思い出すことができる。
おれは、ネアカ(根が明るい)で、鬱とは全く無縁の人生だと思っていた。だいたい、鬱っていうのは、考え方、気持ちの持ちようの問題。どうせ気持ちが凹んでいるでしょ?ネガティブ思考な人間がなるもの。その程度の認識だった。
双極性障害は、躁状態と、うつ状態を繰り返す病気。まさか自分にこの不幸が降りかかるとは。
ブレーカーが落ちるがごとく
2018年1月某日 その日は突然やってきた。おれは毎日仕事を懸命にし続けて生きてきた。マルチタスクをしまくって体がしんどいけど、何度も自分を奮い立たせてやってきたが、ある瞬間に自分の器から水があふれ出てしまったのだ。そう、覆水盆に返らずとはこのこと。それは、心の中のイメージの器。おれが、もう無理だ、これ以上頑張れないと判断したのと同時に、体の中でブレーカーがズドーンと落ちた衝撃を感じた。その瞬間、体は鉛のように重くなり自分の手足を自由に動かすことさえできなくなったのだ。アイコンのウツヌケという本にも書いてあるのだが、真っ黒クロスケみたいなものが背中のほうからザワーと確かにやってくるのだ。

おれの双極性障害の始まりは、そんなでっかいブレーカーのスイッチオフから始まったのだ。
双極性障害を発症してから7年 転院は3回あった
おれのこの状態を当時は精神疾患とは認めたくなかった。精神科に行くのも抵抗があった。
抵抗があったが、なにせ体が辛い、辛いとうかしんどい。しんどいだけでなく、痛い。
知ってました?うつ状態って気持ちだけの問題でなくて普通に、苦しくて痛みも伴うんですよ。
キツすぎて目的地までろくにたどり着かないこともざらだった。
どんなキツさかというと、もし自分が常に鼻血が止まらない状況で更に辛い下痢の腹痛の状態。
鼻血は止まらんから鼻を押さえて、さらに腹はくだるから我慢しての状態で…そんな中でまともな思考をずうっとしていられますか?無理ですよね。そんな状態で、通勤、仕事、自宅に帰っては掃除、洗濯なんてできやしない。そんな状態が24時間あると思ってください。本当に外出は地獄でした。
転換期は5年目に訪れた
この病気に万が一かかった場合、そう、あなたがもしくはあなたの身近な大切な人がそうなった場合は少なくとも改善していくまでに5年間は覚悟したほうがいい。
おれは、うつ状態になってある人に相談したら、その人も数年前にうつをやっていて「tarattaさんの状況、すごくつらいのわかります。でも、驚かないで聞いてください。良くなるまでに5年はかかります」と言われ、ショックで膝から崩れ落ちそうになった。えぇーーー、この体キッツイのあと5年もあるんかーーーーい!!というドデカショックだった。うつをやってから、いろいろ手を尽くして体にとっていいことをとにかく試してはやって、試してやってを繰り返した。
針治療との出会いそして、3人目の担当医との出会い
双極性障害で苦しんでいる人たちに伝えたい。おれは、とある人の紹介で、針治療に出会った。その針治療は、中国針を使った針治療で、日本の生易しい針とはわけが違う。マジでいてぇ。激痛。当然、どの先生でもOKなわけではない。凄腕の先生におれは出会えた。でも、その中国針の治療が功を奏して、おれはだんだんと体がよくなっていったのだ。そして、転院して3人目の担当医の先生。この先生のおかげでどうにかこうしてブログを書いて、「双極性障害は治る可能性があるんだ!」ということを発信できる。毎日ちょっとずつだが、病気する前の状態に戻りつつある自分が好きになってきた。
うつのトンネルから抜ける
2025年4月現在、おれはうつのトンネルの出口が見えかかっている。ここまでくるのに7年かかった。本の中では、うつのトンネルからでるまで10年、20年とかかる人がいると書いていた。実際、うつのトンネルを抜けれず亡くなっていく人もたくさんいるんだと思う。それほど、日々を生活していくのが辛いのがうつ状態というものだ。おれは7年長いと感じたが、そう考えたらまだ短くてありがたいと思わないとな。
7年をまとめるとこんな感じだ。病院探しは?どういうことをしたら効果的?とかそういう話はまた追って書こうと思う。
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